夜になりきっていない、中途半端な時間だった。
近付いてくる。
片手にスマホを持ち、俯き加減で歩く女。
顔に髪が掛かっているが、ちらちらとこちらを見ては、
手元に視線を落としているのは分かった。
傾いた日が、黒くて細長い影を作り出している。それでも女は小さく見えた。
弱く見えた。
それが、この俺とすれ違おうとしている。
「おい、お前」
女はスマホに向けていた目線を、素早く俺に寄越してきた。
「お前、何こっち見てんだよ!!!」
俺は怒鳴りつけた。
今まで飲み込んできた言葉を、全て吐き出すように。
小さくて弱いやつには、そうしてもいい気がした。
一瞬手を震わせた女は、直ぐにハッとした表情を見せ、叫んだ。
俺は反射的に走った。逃げた。身体が勝手に動いていた。
考えるよりも先に、逃げた。
でもそれは、考えて動いていたとしても同じ結果だっただろう。
叫んだのは予想外だった。
恐怖に慄き、声すら出せず、震えて立ち止まる女を想像していた。
そして、それを見て満足する俺の姿も。
あんなに弱そうなやつでも、叫ぶことができる。
それだけのことが、俺を怖がらせた。
後ろから誰も来ていないことを確認し、部屋に入る。
ドアが自然と閉まるのを待てず、急いで引っ張ると、
部屋中の空気が、俺に向かって押し込まれた。
呼吸が整っても、バクバクという音は鳴り止まなかった。
ドアがノックされ、
誰かが無理やり部屋に入り、
暗くて狭くて、怖いところへ連れて行かれる気がした。
たったあれだけのことにびびっている。
あんな、小さな叫び声をこわがっている。
いや、違う。
俺が怖かったのは、あんなに小さい女でも持っていた、少しの強さだ。
こんなちっぽけなことで逃げ出し、ひとり縮こまっているような小心者は、世界中で俺だけだと思った。
世の中のどんなやつよりも、俺は劣っていると思った。
いつも見下していた、馬鹿にしていたやつら、
阿呆みたいな罪を犯したやつらは、それだけで俺より優れている気がした。
俺には、罪を犯すこともできやしない。
耳栓を買っておけば良かった。ドアがノックされても気が付かないように。
しばらく使っていなかった布団を引っ張り出し、頭から被った。
今この部屋にある空気が、急に震えるのがこわい。
眠りに落ちるまでは、それが起こらないように強く祈り、目を閉じた。