志真の記録

内向的人間のちょっとした発信。

味見はいらない

料理を作る時人は味見をする、それは必要なのだろうか。

 

味見をしたとして、私が理解できることは

「美味しいか美味しくないか」

それだけ。

 

美味しかった場合どうなるかというと

私の気分が良くなり

にこにこ笑顔で食卓に料理が並べられる。

 

さて美味しくなかった場合が問題だ。

何度も何度も、私はそれを食べる。

美味しくない、ということを、何度も確認する。

美味しくないものが、何もせずただ食べ続けるだけで美味しくなるはずがないのに。

次に食べたらもしかしたら美味しくなっているのではないか、という絶対にないことを期待して何度も食べる。

 

なぜ食べるだけなのかというと、それ以外にできることがないからだ。

 

だって、何をどうしたら味を修正できるのか、

皆目見当がつかないんだもん。

 

そう、美味しくなかった場合、

「少し量が少なくなった美味しくない料理」が食卓に並ぶだけ。

あと、〜あまり機嫌が良くない私も添えて〜

 

つまり、味見はいらない。